琉球コラム

アーティストインタビューVol.1 我如古より子

2019.11.01

はいさーい( ^ω^ )ついに、、、、

沖縄の音楽芸能を全国・世界に発信していくメディア「琉球 Artist Collection」本格始動!


琉球 Artist Collectionの人気コンテンツ(になるつもりww)「琉球コラム」Vol.1は!!!


民謡歌手で沖縄の歌姫・我如古より子さんにインタビューしてきました(  )


1977
年「女工節」でデビューし、翌1978年リリースの「娘ジントーヨー」が大ヒット。

坂本龍一氏のワールドツアー出演やTHE BOOMの宮沢和史氏との共演、

海外南米公演などでも有名な民謡歌手・我如古より子を深掘り!!



それでは早速、、、START!!!


【Q1】アーティストを目指したきっかけは何ですか?

小さい頃から歌うことは好きではあったんですけど、歌手を目指そうとは元々は思ってなくて。

ただ、お父さんっ子の私は小さい頃から父の仕事や芸能関係の仕事や集会などについて行くことが多かったので、

自然に民謡の曲や歌を覚え10歳頃から「我如古盛栄民謡グループ」としてステージに立たされるようになりました。

父の歌のお囃子に始まり「三板」「太鼓」などもその頃からやっています。

もう昔のことなので初ステージの印象は覚えていませんが、

小学生の頃にラジオのインタビューで「やりたくない!」と言ってしまったことがあり、

今でも言わなければ良かったと、とても後悔しています。(父を傷つけちゃったかなぁ?)と思って(涙)

高校卒業後、銀行に就職したのですが、私には夢があり、夢の実現に向けて進もうと直ぐに退職してしまいました。

でも、父の反対があり自分自身の弱さと自信喪失で夢を諦めました。


その後、父が沖縄市に「民謡クラブ姫」を開業したので

姫のステージメンバーとして働くようになり、今の私に至っています。

姫は夜中の仕事で昼夜逆転の生活で友人達とも疎遠になってしまい、

同世代の友人を作りたいとの思いで、姫で働きながら大学進学をしました。



我如古より子さん発祥の地とも言える「民謡ステージ 姫」の店内




【Q2】 
アーティストをしていて印象に残っているこれまでの困難とそのエピソードを教えてください。

レコーディングの最中に、喉に血腫が見つかり、手術をして治ったのですが、

しばらくの間歌うことができなくて日々悶々としてかなり落ち込んでいたのを覚えています。

普通に歌える時は「風邪でも引いてお仕事休みたい」と思ったりもしてた若い頃もありましたが、

実際、「歌えなくなると、どうしても歌いたい」という想いが出てくるんですね。

人間心理って不思議です!笑

でもその経験があったからこそ、「私は歌が好きなんだ」って改めて実感できたので、

大切な経験の一つなんじゃないかと考えています。



【Q3】 アーティストとしてのターニングポイントとそのエピソードを聞かせてください。

やっぱり最初のターニングポイントは普久原恒勇先生が作ってくれた「娘ジントーヨー」のヒットですかね。

あの曲があって、お仕事の依頼も増え忙しくなり、今では私の代名詞にもなりました。

それでもご依頼いただく音楽のお仕事だけで食べていけるくらいの収入にはならなかったので必死で

コザの父のお店に立って歌って働いてましたね!


そのあとにくるターニングポイントがやはり坂本龍一さんのNEOGEOBEAUTYワールドツアーへの出演です。

あのステージに立たせていただいてから、音楽に対する視野が広がり、いろんなことに挑戦したいと思うようになりました。

現在ではメジャーなスタイルかもしれませんが、「洋楽器をメインに、アレンジで沖縄民謡を取り入れる」という

スタイルのステージを初めて体感し、「沖縄民謡の可能性」を感じましたね。


そしてそのような音楽に対する意識的な変化があったあとに出会ったのがTHE BOOMの宮沢和史さんです。

宮沢さんとは今でも一緒にライブ活動もさせていただくこともありますし、楽曲提供もしていただき、

宮沢さんのプロモーションビデオに息子と一緒に親子共演させていただいたこともあります(笑)

もうだいぶ長いお付き合いになりますが、常に私のことも、沖縄音楽界のこと、そして沖縄全体の未来を

気にかけてくれて本当にすごい方だな、と日々宮沢さんの活動を拝見して、「私も頑張ろう!」という気持ちになります。

本当に、デビューから40年以上経ちますが、「人に恵まれたアーティスト活動」ができていて幸せだと思います。

これからも、最高の音楽をみなさまに届けるため、たくさんの方々の協力も頂きながら頑張っていきたいと思います。




【Q4】 
座右の名は何ですか?

「愚者一得」

若い頃、自分に自信がなく、ネガティブな自分だったのが、普久原恒勇先生の床の間の掛け軸に書かれた

「愚者一得」を見て意味を尋ねた時、「どんな人でも他人に負けない何かが1つはある」という意味だと教えてもらった時に、

ポジティブに前向きに考えられるようになったので、その言葉を常に心に秘めて、ポジティブに生きています!



【Q5】 ライブの時に心がけていることは何ですか?


まず来てくれたお客様に喜んでもらって、楽しんでもらって、また私の歌が聞きたい、みたい、

というステージになるよう常に心がけています。

ライブが終わった後は、環境ができる状況ならお客様と実際に話したりもします。

そしてもう一つ意識しているのは自分もお客様と一緒に楽しむこと、です。

自分も一緒に楽しめていないときっとお客様も少し違和感を感じてしまうはずです。

だから「一緒になって楽しむ」ということは常に意識してライブをしています。

また、音楽は癒しになるはずなので、疲れている人には明日への気力を与えられるんじゃないかとも思っています。

音楽を通じて人を元気にすることができるなら、とても幸せなことだと思います。




【Q6】 
次の世代のアーティストに向けた期待とアドバイスをお願いします!

今の沖縄の若いアーティストさんたちは古き良きものを大切にしながらも、

新しいことにも挑戦しよう!という気持ちがあってとても頑張って活動していると思います。

私も「自分らしい音楽」を大切にしてきたので、若い人たちにも「自分らしさ」や「自分の個性」を

大切にした音楽活動をずっと続けて行って欲しいなと思います。



【我如古より子
 Profile

故・我如古盛栄の次女で、そのやわらかで透き通った歌声から「沖縄の歌姫」と称される。
代表曲は「娘ジントーヨー」「女工節」など。唄に歌詞を乗せ、気持ちも乗せる、感情のこもった唄が長い間ファンの方々を魅了している。
THE BOOMの宮沢和史氏とのコラボステージや坂本龍一氏のワールドツアーにも出演した実績もある沖縄民謡界の大御所歌手。
現在は那覇国際通りにて「Show & Restaurant SunSeaN-三線-」と「民謡ステージ歌姫」の2店舗を経営しながら、
県内外・海外まで、積極的に幅広く沖縄民謡ライブ活動も行なっている。

詳しいプロフィール・ライブ情報等はオフィシャルホームページからご覧ください↓↓↓


【我如古より子オフィシャルホームページ】

https://www.yoriko-ganeko-official.com/


Show & Restaurant SunSeaN-三線-

https://www.sunsean.co.jp/sunsean.php


【民謡ステージ歌姫】

https://www.sunsean.co.jp/utahime.php

  • アーティスト登録
  • ライブの依頼
  • イベント情報掲載依頼(無料)

琉球コラム

  • New

    2019.11.01

    アーティストインタビューVol.1 我如古より子